エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス見た見たの記(未見の人に配慮してないのでネタバレばかりある)

いやーこれは劇場版インターネット。そして劇場版テレフォン人生相談で劇場版OVER THE SUN。


なんちゅうかもっと、おもろアクションバカスカやって世界まるごと救ったりまっせ映画と思ってたんで思ってたんと違うなって面食らったのがまずでかい。
チートもので案外マジに人生模様を描くじゃん!?
「すんごいおーんもしろーい!」というより、「よくできているなー!」って映画だった。

 


いや~~~~ままならないよ、人生は。

そのままならなさの象徴が「アメリカの中国人移民女性」って言うのが今っぽい。
アメリカという(一応)自由と合理性の国で、その価値観で生まれ育った娘と、濃い~ぃ血縁のしがらみや年功序列ゴリゴリの中国の父親という矛盾しまくった存在そのものと生きないといけないんだもんね。

どっちかを捨てられればまだ良かった。
でも捨てられなかった。捨てたくなかったから、めちゃくちゃ頑張ったらなんかギリギリだけどやって来れちゃった。
でも、めちゃくちゃな頑張りって永遠じゃないんだよ~。やっぱり、無理するといつか破綻しちゃうんだよね~~~。グワー!!!!!!!!!辛い!!!!!!!身に覚えがありすぎるだろ~~~~!!!!!「私が頑張らないとどうにもならないんだから頑張るしかないじゃん」で物事の均衡を保とうとしたことが!!!!!
仕事が終わんないから残業するしかないとか、家族が片付けないから掃除を自分がやるしかないとか!!!!!

そんな、あまりにも当たり前だと思われてるからこそ評価につながらない、でも誰かがやるしかない事は世の中にありふれているわけでよ~~~。
子育てしかり、親の介護しかり、生活を金銭的にも物理的にも精神的にも維持することしかり。

 

こんなにもありふれている「がんばり」という題材にそこにエンタメ的なスポットライトが当たることってそうそうなかったのは、あまりにもスカッと解決のしようがないからだよね……。
友達と愚痴言ってても、ほんとに「追々、やりすごすしかないよね」で終わるしかないもんな~。

 

だから、この映画がアカデミー賞にノミネートされまくってるのには結構違和感があるのよ。「誰にでも刺さる」ものではないと思うから。
これがぶっ刺さる人が多いというなら、世のコピー用紙の補充やトイレットペーパーの交換はもっとされているべきじゃん!?!?
(特に、アメリカ人のどこに刺さったんだこれ??っていうのが結構謎だな~と思っている。偏見ですけど…)

 

この話は次元を跨いだでっかい話に見せかけて、実際に描いているのはどこにでもある「家族」の物語なわけで、そのスケール違いの話をきっちりリンクさせてラストに収束させていく話づくりがとにかく上手いんだけど、スケールの大小あるように見えてほんとは同じなんだよな。世界ってつまり自分だから。

 

ただ、結果的にそうなったけどもこの物語はきっと「家族」を描きたかったというよりは、とにかく自分を中心にした最小ユニットの世界の物語の話を描きたかったんじゃないかな?と思うんよな。
エブリンの場合は結果的に「家族」になったけど、人によって「パートナーとの関係」かもしれないし、「学校」「職場」かも。
その、ミニマムな世界・社会のなかで「自分のがんばり」で解決できることには限界があって、次々に起こるやるせないことに対して、「もし私にこんな力があったら」「もしお金がもっとあったら」「もしあの人がこうではなかったら」と思う事はやっぱりあるけれども、そんな数々のifをいうててもしゃーーーないのであるっていう。

 

作中ではその数々のif=「他次元の自分の能力」を得たことで確かに強くはなれる。でも、強くなっても敵はどんどんやってくるわけで……。


じゃあどうしたらいいの、って解決法として「敵を敵じゃなくすのもありよ」という表現し辛過ぎる、かつ実践的すぎるものをお出ししてきたのがすごすぎ。

周りが敵ばかりに見えた時、敵を敵にしてるのは自分なんじゃないかという位置に立ち戻ることはすごく大事なんだよな。
「こいつむかつくことしてくるから敵じゃ~~!」と思う事があっても、「その人は私をむかつかせてやろうと思ってやってるのかな?」と考えると、決してそうではなかったりするもんね。
でも、周りが敵ばかりに見えてしまうほどいっぱいいっぱいの中で感情を抜きににしてフラットに状況を整理するのはとても難しい。
そこで「切羽詰まったときこそ人に優しく」というウェイモンドの戦い方を形からでも実践することが、そのめちゃくちゃいいきっかけになる人も多いんじゃないかな~~。

なんかこういう、自分の小さな世界の治安を上げていくヒントみたいなことって多分すげー大事だし、これで救われる人もたくさんいそうなんだけど、誰かに向けて表現するとどうしても説教くさくなっちゃうし、エンタメのパッケージで表すのほんと~に難しそうなのに、きっちり面白くしたのがすごすぎる。

 

起きることは何もかもハチャメチャだけど、現実もまあとっちらかってハチャメチャみたいなもんだよなみたいな気持ちにもなったりして。

 

正直、観た後は「おもろいけど”隠れた良作!”ぐらいのやつ(まさに同監督の”スイス・アーミー・マン”ぐらいの…)で、アカデミー賞受けまくりってのはちょっと違和感あるぞ……」と思ってたんだけど、翌日になってもこうしてなんか書かないと気が済まなくなってるのはやっぱそういう事なのかもしんない。違うかもしんない。

 

【こっから思ったことつらつら書くコーナー】

・ポスターというかメインビジュアルめちゃくちゃすきなんだけど、伝馬行空ってフレーズすごくかっこよくていいね

・ギャグパートのノリはまあなんかあんまり合わないとこもあった

・衣装どれもいい

・次元超えるトリガーが「やらないことをやる」っていう設定相〜〜〜〜〜当大好き

・今中国語勉強してるから中国語パートも3割位言ってることわかってウオってなった。おもろ。 ムスカの気持ち。

・私の感想というか刺さった部分は本文の通りなんだけど、オスカー取りまくるほど評価されてるのはどこの部分なんだ?と思ってレビュー漁ってたら「セクシーコマンドー映画」って書かれてて笑った。確かに

・海外でも賛否両論なんだな 専門家は概ね好評で、一般レビュアーは「1時間で耐えきれず映画館出た」とか「今まで見た中で最低」とか書いてる人もいる。評価されてるのはざっくりいうと「ひとつのカオスを成立させたこと」とか、「チャレンジングな映画づくり」とかみたいな感じみたい。なるほどなー。でも「あまりに過大評価されてる。評価を見ずに、まず映画を見た方がいい」と書いてる専門家も多いね~。私もそう思う。